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プロ野球 開幕から1週間後の先発マウンド。

開幕から1週間が経過したプロ野球。4月3日の金曜日のナイトゲーム6試合は、各チーム先発投手に興味深い名前が並んだ日となった。

九つの球団がローテーションを一回りして、開幕マウンドに登ったエースの登板となった。二度目の先発登板となった各チームの『顔』は、それぞれが好投を繰り広げた。

ヤクルトの小川、広島の大瀬良は共に試合終盤まで相手打線を0に抑え、ゲームを作りチーム、そして自身の勝利に結びつけている。また、両投手とも、打線の援護がままならない中で接戦を投げ抜いた、エースらしい投球内容となった。

対照的に、好投するも白星を手に出来なかったのは阪神・藤浪、DeNA・浜口。藤浪は6回を1失点でマウンドを救援に託すも、8・9回で5点を奪われ、チームは逆転で敗れた。浜口も6回2失点と投げ抜くも、打線が3安打に抑えられ、勝ち投手の権利を手に出来ずに2度目の先発登板を終えている。大瀬良、さらには中日の福谷との『開幕投手対決』となった二試合は、実際の内容以上に引き締まったゲーム展開に感じられた。

開幕で勝利し、二度目の先発となったこの日も勝利を挙げた唯一の投手が楽天の涌井。ベテランの今季2度目のマウンドも、やはり安定感をみせ、バファローズ打線を相手に7回を投げ5安打、9個の三振を奪うなど無失点で2勝目を挙げている。昨年の復活、飛躍を遂げ、今季もさらに大黒柱としての安定感を増していることは確実だ。試合後のお立ち台では終始、打のヒーローとなった鈴木大地を持ち上げるコメントを発し、チームの雰囲気の良さもうかがわせていた。

巨人、日本ハムの2球団は、今季に懸ける両投手の先発となった。巨人は605日ぶりの先発マウンドとなった野上。アキレス腱断裂を克服してから初の登板となったこの日の内容は6回を投げ抜き2失点。巨人移籍後、期待が大きかったものの、これまで通りの役割を果たせずにいたベテランは、充分に存在感をみせた。背番号23が今季こそ、ジャイアンツのローテーションの一角を掴めるか。

入団3年目の日本ハム、吉田輝星も「今シーズンこそ」の期待を背負い、ロッテ戦で今季初登板。だが、2回7失点。チームも計16失点で敗れた。一軍定着、先発ローテーション入りはまだまだ遠い先であり、日本ハムとしても投手陣立て直しが急務であることも実感させられた、散々なゲーム展開となった。

対するロッテは開幕のマウンドに登った二木が先発。こちらは今季初勝利を手にした。井口監督に志願しての開幕投手から一週間後、その自信通りのパフォーマンスでチームの2勝目に貢献している。(佐藤文孝)

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サッカー日韓戦 日本快勝も、眠れる虎は牙を磨く

日韓戦。久しぶりに、その言葉の響きがサッカーファンの心を揺らした。

3月25日、日産スタジアムで国際親善試合、日本代表対韓国代表の試合が行われ、ホームの日本がおよそ10年ぶりとなったベスト(海外勢を含んだ)メンバー同士のAマッチを制した。

前半17分、フル代表初出場となった山根のゴールで先制すると、その10分後には鎌田大地、さらに後半38分にはセットプレーで遠藤航がゴールを決め、3-0で日本が勝利を手にした。

今回のゲームでキャプテンを務めた吉田麻也は「日韓戦はある意味、W杯よりも大事な試合」と語っていた。そして入場時からの険しい表情は、その言葉通り試合への決意が表れていた。

主力選手が試合後に涙をみせた、アメリカW杯アジア最終予選で勝利して以降、共にアジアのトップとして「互角のライバル」としての関係性が築かれてきたサッカー界においての日本、韓国の両国。通算80戦目となった今回のAマッチでの勝利により、より日本の優勢が印象付けられたかもしれない。だが、今回、さらには同じく海外勢もメンバー入りした10年前の札幌での勝利も、あくまでも親善試合だ。幾度となく強さを発揮してきた「タイトルマッチ」での韓国に勝利しない限り、手放しでは喜べないだろう。

思い出されるのは、今もなお、痛恨の歴史だ。

ドーハでの勝利の翌年、広島で開催されたアジア大会ではベスト8で両国がぶつかり、地元開催で優勝が至上命題となっていた日本を韓国が3-2で降している。また、フランス杯アジア最終予選でも、圧倒的に日本が有利とみられていたホームでの試合だったが逆転で韓国が勝利し、日本は屈辱を味わうとともに、予選突破への希望を一気に見失う結果に。

さらにA代表のみならず、五輪世代の戦いでも繰り返し、辛酸を舐めさせられている。前園、城、川口らの活躍で五輪切符を掴んだアトランタ五輪最終予選、決勝では接戦を演じるも1-2で韓国の前に屈している。また、記憶に新しい、2012年ロンドン五輪では3位決定戦を争い、ここでも0-2で力負けで涙をのみ、銅メダルをさらわれてしまった。3年前のジャカルタアジア大会でも、決勝で金メダルを争うも、ソン・フンミン、イ・ウンスといったオーバーエイジに率いられた韓国が勝利への執念をみせ、延長の末、2-1で勝利、ここでも頂点の座には韓国が君臨した。

大会や予選などを通しての極めて重要なゲームでは尽く、日本の前に立ちはだかってきた韓国代表。先日の敗戦は親善試合のワンマッチとはいえ、韓国国内でも大きく取り上げられていると伝えられている。だからこそ、隣国の「虎」はその牙をより鋭利に磨き始めているはずだ。無論、次の日本との対戦を見据えて。日本と韓国の次戦、可能性があるとするならば、2022年カタールW杯最終予選か。(佐藤文孝)

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2年目の飛躍へ、奥川恭伸に求められる勇気

「悔いが残り納得が行かない」

3月14日、オープン戦で初先発した東京ヤクルトスワローズ奥川恭伸の試合後のコメントだ。予定していた3回を投げ切る前にマウンドを降りたことへの、正直すぎる感想を吐露している。

初回の立ち上がりで3失点、その後は2回を3人で打ち取るも、3回は安打と四球でランナーをためたところで交代を告げられている。あとアウト一つがとれず、本人のみならず観ている我々ももどかしさが残る結果となった。

この日浮き彫りとなった課題は、ボールのキレやコントロールではなかった。既に伝えられているように、打者の内角へのボールがみられなかったこと、それにより投球の幅を狭めてしまっていた。捕手のリードにもよる部分は大きいとはいえ、終始、球筋は真ん中から外を辿り、結果としてドラゴンズ打線に狙いを定められることに。初回の平田のライトへの本塁打や、3回の高橋、ビシエドの連打といった打ち込まれたシーンはもちろん、アウトに取った打者に対しても、易々とバットに当てられていたように感じられた。

特に象徴的だったのが、根尾昂との対戦の場面。最後はセンターフライに打ち取るも、そこに至るまで敬12球を投げ、追い込んだ後もをファウルで粘られている。ここでも真ん中付近のコースばかりで、幅の狭い中での投球となった為、打ち取るまでに球数を擁してしまっていた。ストレートで押し続け、球威では勝っていたものの、「仕留めきれない」印象が強く残る投球内容だった。

もちろん、インコースへのボールが殆どみられなかったことは、奥川本人も課題として身に染みているはずだ。それ故の悔しさに溢れた冒頭のコメントであり、次回登板では間違いなく、広いコースでの投げ分けが行われるだろう。また、ドラゴンズ戦ではストレートの球威は回を追うごとに増していき、スライダー、フォークといった変化球は全て、見事なまでのキレを放っていた。足りなかった部分と言えば、打者の近めに投げ込む「勇気」だけだ。それこそがプロ2年目を戦う若武者が超えなければならない課題だ。そしてその課題をクリアした時、いよいよ潜在能力を存分に発揮できることと、信じたい。

昨年、シーズン最終戦でプロ初登板し、自責点5で完膚なきまでにK.Oされたことは記憶に新しい。だが、既に「プロの洗礼」は充分に受けている。2シーズン目は、さらに多くのチャンスを掴み、結果を残していくだけだ。首脳陣、さらには多くのファンの期待は開幕1軍、開幕ローテ入りへ向けられている。若き「エース候補」、奥川恭伸はその想いに応えるだけの力は間違いなく持っているはずだ。悔しさをバネに、背番号11は更なる飛躍を遂げる。(佐藤文孝)

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チケットと歓声を求めて。2008年、真夏の北京(後編)

北京滞在3日目、お昼頃。「我欲棒球 券」そう書かれた紙を掲げ、野球競技会場周辺に立っていた自分に、大会スタッフと思われる女性が歩み寄ってきた。「すぐに紙をしまい、立ち去るように」そう、声をかけられるものだと身構えていたが、英語で発せられた言葉は、意外な内容だった。

「あなたは日本人ですよね。(転売屋は)きっと、あなたに対して、高い値段で売ろうとします。今はまだ、チケットを買わないほうが良い。夕方、試合開始前に来れば、より安くチケットを購入出来ますよ」

聞き取れた内容は、こんな感じだった。まさか、大会公式スタッフから、ダフ屋に対するアドバイスを受けることとは。驚いたものの、無論、アドバイスを参考にさせてもらうことに。一旦、「チケット求む」を取り下げ、夕方まで時間を過ごすことにした。

その後、やや涼しくなってきた時間帯に再び、同じ場所で紙を胸に、路上で待つ。すぐに強面の大柄な男性が近づいてきた。自分の隣に立つと、持っていたセカンドバックを開き、中身をみせてくれた。そこには数十枚とも思えるオリンピックチケットが。あまりにも「スムーズに」展開が進んだことに驚くも、動揺することなく、お目当てである『野球 日本対オランダ』の観戦チケットを探していることを伝える。男性はチケットの束から「これか?」という感じで、「これ」を取り出した。それだった。値段の交渉に入ると、すぐに電卓だったかで数字をみせられ、その値段で購入することに。定価の10倍程度、さほど安いとも思えなかったが、競技が観られる喜びと、旅先でチケット購入に至るまでのプロセスの興奮により、即断となった。

五課松球技場の鉄骨を組み合わせて作られていた、外野観戦スタンドの真ん中あたりに座った。試合開始前の練習では、ダルビッシュ有や阿部慎之助、田中将大といった当時の代表選手たちが身体を動かしていた。思わず、殆どガラガラのスタンドの前まで移動し、選手たちを見つめる。

そしてホームベース付近では、星野監督や山本浩二、田淵幸一両コーチの姿も。ノックなんかを眺めながら、どこか喉かな雰囲気に包まれていると思われたが、外野スタンド付近に一人のコーチが歩み寄ると、思わず大声を発する。大野豊投手コーチだった。

「大野さん頑張ってくださーい」興奮気味に叫ぶと、我々に笑顔をみせてくれて、声援にも応えてくれた。現役の代表選手達より、コーチに心躍らせたことに違和感を覚えたが、すぐに理解する。子供の頃、巨人戦で力投していた記憶が鮮明に残っているからだった。幼いころのインパクト、その印象は大人になっても消えないと確信した、夢の舞台、オリンピックでの試合前の出来事だった。(佐藤文孝)

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チケットを求めて。2008年、真夏の北京(中編)

メインスタジアム、北京国家体育場は、「近寄ることも有料」と、宿の女主人から聞いていた。大会の目玉の一つでもあった『鳥の巣』を目の当たりにすることはあきらめ、野球競技観戦へ照準を絞る。

宿では、日本人男性二人と同部屋となり、それぞれと五輪への想いなどを話した。年下の大学生の男性は既にサッカー日本代表のチケットを入手したと聞いた。自分も野球を観たいと伝えると、学生さんも野球好きらしく、しばらく野球談議に花が咲いた。もう一人の男性は、自身も水泳選手で鳴らしており、競泳を観に行くとのこと。自身がデザインしたという水泳キャップをプレゼントしてくれた。五輪とは別に、旅先での出会いを楽しんだひと時となる。

この2008年のオリンピックでは、いくつもの波乱が起きていた。日本を発つ直前、女子柔道競技では、大本命だった谷亮子が準決勝で敗れ、3大会連続での金メダル獲得はならなかった。また、中国陸上界最大のスーパースターであり、400mハードル世界王者だった劉翔は怪我を押しての出場だったが、スタートラインに立つも、そのまま棄権という信じられない結末を迎える。後から知ったが、劉翔が棄権した翌日には、その姿が載っている看板を街中から一つ残らず、全て取り外したのだという。現地滞在中の話だったが、そんな出来事にはまるで気付くことはなかった。

滞在3日目、いよいよ、チケット獲得へと動き出す。

お昼頃、バスを乗り継ぎ、野球会場である五課松球技場へと辿り着くと、女主人のレクチャー通りに事を進める。ノートの半紙を貼り合わせ、そこにサインペンで「我欲棒球、券」だったか、観戦チケットを求める旨のメッセージを書き、胸の高さに掲げ、会場への通路の脇に立ってみた。思っていた以上に多くの人々の視線を浴びる。中には、目の前まで近寄られ、紙に書いてある文を読み上げ、立ち去る人もいた。8月の中国、北京の猛烈な暑さの中、五輪会場においてチケットを求め、様々な国の人間から視線を向けられるという、日本での日常生活ではまず味わうことのない、不思議な感覚に覆われていた。

すると、鮮やかな水色と白のデザインのシャツに身を包んだ、女性が近づいてきた。この滞在期間中、北京市内のいたるところで何度も目にしてきた服装、今大会のボランティアだった。

その時の状況は、誰がみても、その行為が正規ルートでのチケット購入ではないことは明らか。すぐに立ち去るよう、注意、警告を受けるのだと、容易に想像が出来た。もちろん、周囲を見渡すと、チケットの売買が行われている様子もちらほら見られ、一斉に取り締まりが始まったものと思ったのだった。万事休す、もはやこれまでかと、一気に緊張が高まった。(佐藤文孝)

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チケットを求めて。2008年、真夏の北京(前編)

夏に開催予定となっている東京五輪2020。それ以前に、同じアジアで行われた夏季五輪は2008年の北京。「Beigin 2008」が、自分にとって、初めて現地で観たオリンピックだった。

北京への航空券は6月頃に購入していたものの、競技の観戦チケットは持たずに、現地へと向かった。当初は、街中で感じるであろう大会の雰囲気を味わえるだけでも、と思いつつも、心のどこかで観戦への淡い期待も持ちつづけていた。

大会が開幕して間もなく、北京国際空港に降り立つ。巨大、という言葉でも足りない程の空港のバカでかさと、施設内のエレベーターから降りてくる係員の人数の多さに圧倒されながらも、バスターミナルへ向かい、宿泊先へ向かう。

バスと徒歩で目的地へと向かった。北京の一角にある、日本人と中国人との夫婦が経営するユースホステルで3泊するスケジュールとなっていて、無事に宿に辿り着く。日本人宿泊客の姿も多く、あちこちで日本語の会話が聞かれる中、宿の壁には日本語の張り紙が。「野球チケット 日本対アメリカ 〇〇〇円!」野球競技のチケットが入手出来るとのこと。宿の女主人からも、「チケットは現地でも購入出来ますよ」と、教えてもらった。購入ルートはともかく、競技観戦の可能性は、日本出国前より格段に膨らんだ。

この北京五輪では、自分の中で大会前より最も関心が高かったのが野球、「星野ジャパン」の戦いぶりだった。初めてプロ選手参加が認められたシドニー、長嶋茂雄監督に率いられオールプロで臨んだアテネと、何れも金メダルに届かず、2012年ロンドンでは野球競技が除外されることも決まっており、北京での金メダル獲得は至上命題となっていた。

また、指揮官である星野監督の「金メダル以外いらない」といったコメントや、エースとして位置づけられていたダルビッシュ有や、四番を任された新井貴浩等のプロ選手たちの顔触れも、多くの野球ファンの勝利への期待を高めていった。

ユースホステル内で見かけた野球チケットの張り紙は日程が合わず、さらに高額だった為、見送ることに。だが、「『チケット』と書いた紙を持ってスタジアムの周辺で立っているべし」と、観戦チケット入手の方法も、宿の女主人がレクチャーしてくれた。なるほど、よく映画なんかでみるあのポーズか。他にも、中国人の旦那さんからは「中国では野球人気は低いから、きっと手に入るでしょう」と励ましの言葉をかけられる。さらに、同じ宿泊客内の「ネットワーク」により、女子ソフトボールの試合チケットが手に入った。

初めて訪れた中国、北京市内の一晩1000円の安宿では目まぐるしく展開が進み、一気に五輪モードへと加速していく。野球日本代表の試合観戦が俄然、現実味を帯びた気がした。(佐藤文孝)

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西武ライオンズ、豪打復活への期待。

埼玉西武ライオンズは昨季、リーグ3連覇を目指すも開幕から低迷が続き、レギュラーシーズンを3位で終えた。雪辱を期す2021年は、打撃陣での「再生」がキーワードとなるだろう。

今や、新しい「球界の盟主」にまで登り詰めた福岡ソフトバンクホークスに対抗するためには、何よりも主軸の復活が求められる。昨年のチーム打率.238はリーグ5位と、一昨年までと比較して大きく迫力を欠いている。特に、主力打者の多くが不振に喘いだことが深刻だった。

「山賊打線」と呼ばれるほどの破壊力を示してきた打撃陣の中心を担っていた、山川穂高、同じくクリーンナップを構成するベテランの中村剛也が揃って、大きく成績を落としたことが響いたことは間違いない。

山川は昨年6月の開幕時こそ、持ち前の打棒を発揮したものの、夏から秋にかけて快音が聞かれなくなり、10月31日には右足首治療のため登録を抹消されている。そのまま、復帰することなくシーズンを終え、本塁打数24、73打点を挙げるも、打率はリーグ最下位の.205にとどまった。現在行われている春季キャンプでも、負傷の影響から主力組には入らずに調整を行っている。昨年10月以来の実戦となった阪神との練習試合では適時打を放つなど結果を残し「内容を高めていきたい」とコメント。今キャンプでは打撃フォームの変更も行い、今週中には主力組への合流も見込まれている。ペナント奪還のために不可欠な主砲の再起へ向け、シーズンを本格的に見据える段階に入った。

長年にわたりライオンズ「顔」のとして活躍を続け、今季20年目の中村への期待も絶大だ。一昨年は30本塁打を記録、123打点で打点王にも輝くなど、年齢を感じさせない力強さを披露するも、昨シーズンは死球による戦線離脱もあり、9本塁打、31打点と数字は急降下する。新たなシーズンへの意気込みを「キャリアハイを目指す」と語っており、シーズン中で38歳を迎えるも、通算424本塁打を誇る長打力は今なお健在、好調を維持すれば再び打線の主軸となれるはずだ。現在は左ふくらはぎ痛によるリハビリを続けており、月末の2軍キャンプ合流を目指す。

他球団を圧倒し、脅威となり続けてきた西武打線を象徴する存在である、山川、中村の復活なくして、ライオンズのリーグ制覇は考えられない。パ覇者のソフトバンクの強さに対抗するためには、もう一度チームカラーである豪打を取り戻し、打ち勝つ野球を続けていく必要がある。それにより、古くから伝わるライオンズ打線の「格」を後世に伝えることにも繋がっていくはずだ。

リーグを代表するスラッガー2人に率いられ、「令和の野武士軍団」は、今季、再び球界を席巻する。(佐藤文孝)

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10年振り復帰の千葉和彦。2021年アルビの「光」として。

今季より、アルビレックス新潟に一人のベテランが加入した。DF、背番号35の千葉和彦だ。名古屋グランパスより昨シーズンオフに移籍、実に10年ぶりの新潟復帰となる。

すでに、そのキャラクターでメディアに頻繁に取り上げられており、キャンプ中のチーム内でもムードメーカーとしての役割を全うしている様子。これまで、長年にわたっても某サッカー番組において、ピッチ外の表情やチームメイトとのコミュニケーションが、名物コーナーの中心として話題となっていたほどの、J屈指の「エンターテイナー」として知られている。

2005年夏に、前所属のオランダ2部FCドルトレヒトからアルビレックス新潟と契約すると、ボランチ、デフェンスラインで、存在感を示し続けた。今や、J1時代を知るだけでなく、かつての反町康治体制で戦った、最古参とも呼べる貴重なプレーヤーでもある。

また、大きな転機となったのは2011年に新潟のヘッドコーチを務めた現日本代表監督・森保一のサンフレッチェ広島の監督就任に伴い、千葉も広島へと移る。2012年シーズンは、3バックの一角としてレギュラーに定着、広島のJ1初優勝に貢献している。翌シーズン以降でも広島の優勝を主力として支え、日本代表にも選出される等、プレーヤーとしての絶頂期を迎える。因みに、千葉が抜けたアルビレックスは2012年、開幕からの不調が続き、シーズンを通して降格圏を彷徨う苦戦を強いられることに。最終節での「奇跡の残留」を果たすも、常にJ2降格が隣り合わせの戦いが続いた。

およそ5年半のアルビに「逆輸入」の形で活躍の場を求め、広島への移籍と共に、チームを3度リーグ制覇の強豪へと押し上げた。正直、新潟時代の千葉和彦というプレーヤーのピッチ上での動きがどれほど、サッカーというスポーツにおいて効果的なのかを見出すことが出来なかった。だが、当時独特ともとれた、広島の最後尾から組み立てるパスサッカーで、流れるようなボール回しを行う11人の中の1人となることで、判断力、ボールさばきが際立っているのが強く感じられた。

広島で6シーズン、その後、名古屋グランパスでの2シーズンを経て、2021年、再びアルビレックス新潟のユニフォームを着る。年齢を重ね、ベテランと呼ばれる立ち位置となったものの、そのキャリアこそが現在の新潟に最も必要なピースだ。奇しくも、昨季より新潟はアルベルト体制のもと、細かくボールを繋ぐサッカーを構築している真っ只中だ。未だ途上ではあるが、豊富な経験を重ねてきた背番号35が加わる事で、一気にアルビが目指すサッカーの完成度が高まる気がしてならない。

昨年はネガティブな話題が多かった、アルビレックス新潟。10年ぶりに新潟の地に戻った、千葉和彦の放つ「光」が、クラブを進むべき方向へと導いてくれるはずだ。(佐藤文孝)

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レジェンドの足跡、木村和司と日本サッカー

某スポーツ紙で連載が行われている、木村和司のエッセイが面白い。

これまでの半生を本人の言葉で回想する内容だ。サッカー好きとして、中身の濃さもさることながら、文章の中で自身を「わし」と呼んでいることも、引き込まれる要因の一つだろうか。

日産横浜マリノスの背番号10。Jリーグ発足時には既にベテランとして知られ、それでも屈指の強豪クラブの主力という認識が強かった。他に、井原正巳、松永成立、水沼貴史、勝矢寿延等も名を連ねていて、ユニフォームのデザインも魅力的だったこともあり、テレビ中継(地上波!)ではマリノスのゲームを観ることが多かった気がする。

1985年国立での「伝説」のフリーキックは、リアルタイムでは触れてはいない。後のJリーグ発足、アメリカW杯最終予選で盛り上がっていく中で、「過去のもの」としてVTR等で知る。チア・ホーンが鳴らされる中、右足でゴールに蹴り込んでいた映像は、ことあるごとに、繰り返し流されていた。そして、その試合の後半には、木村が蹴ったコーナーキックからの加藤久のバックヘッドが、僅かにゴールをとらえきれず、同点のチャンスを逃していたことも知る。Jリーグ世代には、木村の全盛期のプレーは、過去のエピソードとして伝え聞いていたのだった。

エッセイの中でも現在は、日本リーグ時代、さらにはJリーグの開幕時の木村和司の当時の動向が振り返られている。日本リーグ晩年、国内日本人プレーヤーでは、最初の本格的なプロ契約選手だったことは知っていたが、Jリーグ発足を前の様々なクラブからのオファーや、マリノス残留を決意するまでのいきさつは興味深い内容だ。青・白・赤のユニフォーム以外を切る可能性もあったことや、「神様」ジーコについても語っている。Jリーグでは実働2年程度で現役を終えたと記憶しているが、背番号10を背負い続け、あの華々しい雰囲気の中行われた読売ベルディとの開幕戦や、その後のリーグ戦においても、重みのあるプレーを披露し続け、スターとしての輝きを放っていた。

後年、元日本代表のラモス瑠偉は木村和司が選手として、「ドーハ」のピッチに必要だったとコメントしていた。素人目に観ても現実的とは言い難い、盟友の言葉ではあったが、何故か空想で木村が「あの場所」にいる姿を想像してしまう。非現実的なことさえも思い浮かべてしまうほど、木村和司というプレーヤーの存在は別格だった。

時代は移り、技術的には比較にならない程に進化した現代の日本サッカー界ではあるが、木村と同じ様に大きな夢を描かせる、そんな選手は果たしてどれだけいるだろうか。(佐藤文孝)

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天才・武藤敬司、薄れぬ存在感と団体の未来。

入場時の『HOLD OUT』が、ビッグマッチの雰囲気をさらに際立たせていた。

2月12日のプロレスリングNOAH日本武道館大会で、武藤敬司が潮崎豪を降し、三大メジャー団体のタイトル制覇となるGHCヘビー級王座を獲得した。試合時間は29分32秒、フランケンシュタイナーで3カウントを奪っている。団体の至宝でもあるベルトを手にしたことで、華々しいキャリアに、新たに勲章が加わったことになる。

さらにサプライズが続く。その3日後、新チャンピオン・武藤敬司のNOAH入団が発表された。フリーとしての立場で参戦が続いていたが、次戦からは団体所属選手として、リングに上る。まさに、20年前の古巣新日本退団からの全日本移籍を思い出させるほどの、強烈なインクトが感じさせる電撃入団だった。

知名度、存在感は58歳の今でも相変わらず、未だ業界NO.1といっても過言ではないだろう。また、画面を通して観る限りでは、タイトルマッチ時の体つきはまるで年齢を感じさせなかった上、対戦相手の潮崎より一回り大きく見えるほどだった。団体トップレスラーとして君臨することには、ほぼ、問題となる要素は見当たらない。

だが、ベルト獲得となった試合の最中、ムーンサルトプレスを敢行すべくコーナーに登るも、思い止まったシーンが象徴する様に、かつての動きを求めることは不可能であることも確かだ。膝の動きが鈍く、グラウンド時の流れがスムーズでなかったことや、全体的な試合運びでも、技の一つ一つが単発で繰り出されていた印象を受けた。

今後、NOHAにおける「強さの象徴」杉浦貴や、金剛の総帥・拳王など、楽しみな対戦は尽きない。だが、両ひざの状態や、コンディション維持などにもかなりの神経を使うことは確実であり、常時出場ではなくビッグマッチ限定でリングに上がることも予想される。2年契約との発表だが、契約満了を迎えることには60歳を過ぎていることになる。他のレスラーとは同じ目線で、この先の武藤を見続けることはやはり難しい気がしてならない。

また、58歳にヘビー級のベルトを奪われた前王者・潮崎のリベンジや若手レスラーたちの奮起にも大きな期待が集まる。特に、返し技でもあるフランケンシュタイナーからの3カウントで敗れた潮崎のベルト奪還は、一刻も早く、成されなければならない。名勝負ではあったものの、試合直後の表情は敗れたもののそれではなかった。豪腕を磨き、自らの力でもう一度、ベルトへの挑戦権を引き寄せ、レジェンドを完膚なきまでに叩いて再びベルトを巻いたその時こそ、NOAHという団体の本当の意味での底上げに繋がっていく。(佐藤文孝)