カテゴリー
未分類

引退・岩隈久志と日本代表

「先発・岩隈」

シーズンも終盤に差し掛かった9月下旬、巨人の原辰徳監督が突然、その言葉を発した。

ゲームに敗れ、ローテーションの谷間を迎える次戦の先発を聞かれた際、巨人入団以降、一軍登板の無い「大物」の名前を口にしたのだ。無論、調整中の岩隈登板の予定はなく、ジョークと伝えられたものの今にして思えば、大きな意味が含まれていたと捉えられる。

2009年、原監督が指揮を執った第2回ワールドベースボールクラシック(WBC)で日本代表として共に戦ったことで縁が生まれ、2018年オフに巨人入団を果たしている。

岩隈久志の今シーズン限りでの引退を発表が伝えられた。39歳の右腕は、激動の時代を投げ抜いたといっても大げさではないだろう。

プロキャリアを歩み始めた当時の所属球団、近鉄バファローズの消滅(オリックスとの合併)、新設された楽天への移籍、メジャー挑戦といった軌跡はもはやプロ野球ファンならば誰もが脳裏に焼き付いている。

また、プロ選手により本格的に代表チームを組まれることとなったアテネ五輪、さらには2009年WBCにも主力として招集されている。原監督との出会いとなったWBCで先発の一角として優勝に貢献している。

2000年代初めからプロ選手としての成長を遂げ、通算170勝という実績をみても、日の丸を背負う機会がもっと多く与えられるべきだった投手だろう。特に、日本代表が金メダル獲得を目標に挑んだ2008年の北京五輪での代表落選は本人のみならず多くのファンにとっても残念な出来事となった。この年、21勝を挙げる等、投手タイトル独占、沢村賞にも選出されるなどキャリアハイの成績をおさめ、抜群の安定感を誇っていた。当の代表チームは北京での戦いにおいて、投手陣の柱が最後まで不明確で敗れただけに、大会後、どれほどの「もし」を想像したことか。翌年のWBCでは原監督により代表ユニフォームを着ることになるのだが、ここではまさに日本代表の大黒柱としての活躍をみせている。

その後もWBCにおいて、国内組だけで編成されることとなった2013年、前年に16勝を挙げていた2017年と、様々な制約から招集されることはなかったが、代表入りが実現していたならば間違いなく主力としてマウンドに登っていただろう。それほどまでに息の長いプレーヤーという印象も強かった。

投球中のクールな表情とは反対に、日米で、さらには国際試合でも大きすぎる存在感を発揮した、歴史に名を刻んだ大投手だった。それにしても、原監督との縁となった「代表繋がり」という関係は、プロ野球界で今後もみられるのだろうか。(佐藤文孝)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA