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10・28 27年前の記憶

10・28。

この数字を見て、何かを思い出す人間は、少なくないだろう。

27年前の10月28日、この日は日本のスポーツ界にとって忘れることの出来ない日となったことで、人々の記憶に刻まれている。ただ、単純な数字ではなく、別の表現で憶えられることとなり、日にちで記憶をしている人はそれほど多くないのかもしれない。

1993年10月28日。ドーハの悲劇が起きた日である。

日本サッカー界にとってワールドカップ出場が「悲願」であったこの頃、初出場を果たすべく、アメリカW杯最終予選を戦っていた。そして、勝てば初出場が決まる状況を迎え、最後のイラク戦を迎えたのが10月28日だった。

前々日の10月26日には宿敵、韓国を1対0で打ち破り、グループ首位に躍り出ていた。日本代表メンバーには三浦知良、ラモス瑠偉、中山雅史を中心とした攻撃陣、さらには柱谷哲司、井原正巳、森保一等のDF陣が名を連ね、まさに悲願達成に向け邁進していた。

「W杯予選は戦争」と言われていた時代であり、深夜にかけ、外国での試合がTV中継されたこともあり、独特の雰囲気が伝わってきていた。ピッチに立つ選手たちは、この年に産声を上げたJリーグのスター選手ばかりであったが、この最終予選5試合を戦っている最中の表情は、まさに線上に立つ兵士そのもの、華やかなプロリーグの看板プレイヤーの顔は何処にも感じられない程、緊張感と緊迫感で覆われていたことを憶えている。

最終、イラク戦の終盤、2対1とリードしていた最中。後に知ったエピソードで現地にいた記者の中の一人が、「W杯って、こんなに簡単に出場できるのかよ」と期待とも、不安ともとれる言葉を発したという。

もちろん、テレビだけで見ていた自分が聞いたわけではないのだが、同じような感想を、試合中に感じた自分が居た。

後半、ラモスのラストパスを中山雅史が倒れこみながらシュートし、勝ち越しのゴールを奪い、残りの時間を凌いでいた最終盤。日本の劣勢が続く中、眠りそうになりながらテレビ画面を見つめこんな思いが頭の中を過っていた。「結局、最後はハッピーエンドなのか」。

その後、ロスタイムでコーナーキックから日本のゴールにボールが吸い込まれた瞬間、自分のほとんど閉じかけていた両瞼はぱっくりと開くことになり、横になっていた上半身は一瞬で起き上がることとなった。こんなことが起きるのか、起きてしまうのか。どこがハッピーエンドなんだ、最悪の終わり方でしかないじゃないか。ロスタイム前までの、自分の考えが大きな間違いであったと気づいたとき、全ては終わってしまっていた。

その後、ブラウン管の中では、自国リーグを彩っていた華やかな英雄たちがグラウンドに倒れこみ、うつろな表情を浮かべていた。1993年10月28日。この日、日本サッカーは本当に全てが終わってしまった日となった。(佐藤文孝)

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