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2020年大晦日、アルビレックス新潟を振り返る。

「我が」アルビレックス新潟はJ2リーグ、3シーズン目を終えた。結果は11位、2021年も同じカテゴリーで戦うこととなった。

クラブ史上初の外国人監督、アルベルト・プッチ・オルトネダ監督に率いられた今シーズン、例年以上の可能性を感じながらシーズン開幕を迎えたのは自分だけではないだろう。ここ数年、クラブがコンセプトとして掲げながらも表現出来ずにいた、主導権を握った上でのパスサッカーを、この指揮官の下で実現させ、結果に投影させるつもりだった。キャンプでの練習を見る限りでも、これまでからの方向転換は可能であると思えた。

アウェーでの開幕戦、ザスパクサツ群馬とのゲームを、渡邊新太、さらには新戦力となったロメロフランク、ファビオのゴールで3-1での勝利は、事前の「準備」を観る限りでは想定の範囲内でもあった。ただし、アルビサポーターの、いや、世界中の人々の予想を超える非常事態により、リーグ戦第2節開催が、数か月後になる。

リーグ再開後も組織としての好調の波を手放すことなく、本間至恩や舞行蹴ジェームス等、主力選手がチームを支え一時は4位につけるなど、上位2チームまでの昇格の期待を抱かせ続ける。

シーズン途中には、鄭大世を期限付きで加入するなど戦力面での上乗せも怠らなかった。

それだけに、二人の外国人選手退団、そして社長、ゼネラルマネージャーの退任に繋がる不祥事が悔やまれる。ファビオ、ペドロ・マンジー、玉乃GM、そして是永大輔社長をクラブは失った。4人とも、今季のアルビレックスにおいて大きな存在感を示していた。クラブとしての対応はどこで、どう間違ってしまったのか。

夏から秋にかけ、負傷者も相次ぎ、連戦により選手の疲労も重なり、白星から見放されてしまう。最終的に11位で今季を終えた中で、シーズン閉幕まで4連敗と、J1時代を振り返っても思い浮かばないほどの失速、昨年を下回る順位となった。

低迷が続いた近年でもシーズン終盤での巻き返しがアルビの「お家芸」であったが、今年ほどの失速は昨年まで、類を見ない程でもあった。続投が決まったアルベルト監督は「(戦術の)ベースとなる選手は残るだろう」と、来季へ希望を抱かせるも、チーム得点王だった鄭大世は去り、新井直人をはじめ、今季を支えた若手は新潟を去る。

その中でも、守備の要、舞行龍ジェームズや、キャプテン堀米悠斗の残留も発表されている。指揮官の退任、主将の離脱という、数年に渡り続いていたネガティブなジンクスが途切れたことで、好循環をもたらすことが出来るか。

来季はJ1というカテゴリーを離れて、4シーズン目となる。(佐藤文孝)

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不敵さは健在 秋山準、 再びプロレス界の中心へ 

プロレス界は2020年の年末を迎える中、様々な話題に包まれている。

業界内、最大のビッグイベントとも言える新日本プロレス東京ドーム大会を目前に控え、この時期に胸を昂らせているプロレスファンは多いだろう。また近年、同じ1月4日に後楽園ホール大会をぶつけているプロレスリングNOHAも団体としての勢いを取り戻してきており、来年2月には日本武道館大会開催することを発表している。他の団体も含め、プロレス界の年末年始は、未来に向け大きな動きをみせる季節でもある。

その中で、一人のレスラーの言動が注目を集めている。現在、DDTを主戦場とする秋山準だ。

今月27日まで行われていた団体内のリーグ戦で優勝を飾り、試合後、秋山独特のマイクパフォーマンスを繰り広げている。そこでは、自身の強さを表現することはもちろん、現移籍先のレスラーたちへの賞賛、さらには他団体選手への挑発ともとれる内容も含まれていた。

新たな勲章を手にした51歳の言葉は、相変わらず謎めいていると同時に、プロレスファンの心を揺さぶる「スパイス」が効いている。そしてこの発言により、またしても業界全体が激しく動き出す予感を引き起こしている。

19年前、秋山準はまさにプロレス界の中心にいた。

当時所属していたNOHAのチャンピオンに君臨し、団体内でその強さを発揮した他、他団体である新日本プロレスに外敵として乗り込み、ビッグマッチへの出場を果たしている。年が明けた2002年、1月4日の東京ドーム大会ではメインイベントで新日本の永田裕司を相手にタイトルマッチ防衛戦を戦うなど、現在では絶対に起こり得ないことを実現させてきている。

その行動力、そして一個人だけでプロレス界全体に及ぼす影響力が絶大だったこの頃、まさに日本のプロレスストーリーはこの男を中心に回っていたと言っても過言では無い。

その後、NOHAを退団、前所属の全日本プロレスでは社長という地位にも就き、一線を退いたかにみえたものの、若手が集い可能性に満ちたDDTに移ってからはコーチ役も務めながら、一人のレスラーとして輝きを取り戻している。先のリーグ戦決勝ではフィニッシュをアームロックで決めた試合内容やコンディションの良さが窺えるフィジカルは流石という他なく、20代のころから磨き上げてきたその言葉のセンスもさらにキレを増している。

来年2月には、秋山が語った「プロレス界で認められた3人」のうちの一人である、チャンピオン・遠藤哲哉とタイトルマッチを戦うことが決定した。団体内で最高に栄誉であるシングルベルトを巻いた時、次はどんな動きをみせ、どのような発言が飛び出すのか今から楽しみにしているファンも多いだろう。

そういえば、若手の頃より「プロレスラー秋山準」は、とにかく高いところからものを語るのが似合っていて、ヒールともとれるその不敵さが秋山の最大の魅力だったことも思い出した。(佐藤文孝)

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田沢純一、経験を携え台湾球界へ

新聞紙面の片隅に見つけた。

「田沢、台湾へ」

野球独立リーグ、ルートインBCリーグに所属していた田沢純一投手がチームを退団、台湾プロ野球、「味全」と契約するという。少しの衝撃を覚えた後、新所属となるチーム名の読み方を調べることになる。

2020年のプロ野球シーンの中で、ごく僅かな期間ではあったが「田沢純一」の名前が頻繁に聞かれる時期があった。ドラフト会議の前後、BCリーグ所属の元メジャーリーガーが指名されるのかが、大きな話題となったことは記憶に新しい。だが、12球団のどこからもその名前が呼ばれることはなく、田沢のNPB入りの可能性は消えた。

今年7月の日本帰国後も、メジャー球団への復帰も模索していたと言われていた田沢の今回の決断は、プロ選手としてのキャリアにおいてどういう意味を持つのか、定かではない。メジャー、マイナー等、来季の米野球界の状況も見えない中で、限られた選択だったことも窺える。無論、34歳右腕の決断を、多くのファンは支持するはずだ。なぜならば、どこの国であれ田沢のマウンド姿を観続けたいからだ。

改めて思うのは、長年にわたってメジャーのマウンドに登り、2013年にはワールドチャンピオンにも貢献した投手が、なぜ日本ではドラフト指名を受けるアマチュア扱いとなるのか、だ。ドラフト会議直前のコメントで「指名を受けたら考える」と伝えられた田沢本人の意識も、指名を見送った球団側に感じるものがあったかも知れないが、やはりドラフトの対象となる事自体に違和感を感じてしまう。

一昔と比較するまでも無く、メジャー球団やアメリカ野球界と、日本球界との距離は時代と共に近づいていることは確かであり、選手、球団も含め、今後も両国間を行き来する機会は増えてくるだろう。何よりも選手の選択肢が増えている以上、受け入れる側のルールも、変わることが求められるはずだ。

「ドラフト会議後、この先も野球を続けるべきか長い期間悩みました」(埼玉ヒートベアーズ公式HPより)と、コメントを残している田沢だが、台湾球界という新たな環境で投げることを望んだ。味全ドラゴンズは八百長問題による解散を経て、昨年にリーグ再加盟、来シーズンよりリーグ参入が決定している。

田沢はまだ30代も半ばであり、若くして海を渡りチャンピオンリングをはじめとするメジャーでの長年の経験を活かしての投球をみせられるはずだ。これまで多くの日本人選手がプレーしてきた台湾球界を再出発の舞台に、息の長いプレイヤーとしてその活躍を見届けたい。(佐藤文孝)

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川崎フロンターレ 新たな常勝軍団の軌跡

今季のJ1リーグにおいて、開幕から圧倒的な強さを見せつけ優勝を果たした川崎フロンターレ。4試合を残しての優勝はリーグ過去最速であり、最多勝点記録も更新し、クラブ史上3度目の頂点となった。

2017年、2018年、そして今年と、ここ4年間で3度のリーグ制覇はもはや「常勝軍団」とも呼んでもおかしくない程の強さだが、これまでの足跡は決して栄光ばかりではなく、長い期間を経て積み上げられたものだった。

1999年にJ2リーグ優勝を成し遂げJ1昇格するも、翌2000年は年間成績で最下位に沈み、僅か1年でJ2へ逆戻りとなっている。そこから2005年に再び昇格するまで4年の「下積み」期間を擁した。後に五輪代表を率いることになる関塚隆監督のもと、J1復帰を果たした。

再昇格後はJ1に定着したものの、長年にわたり中堅クラブという地位から抜け出せない戦いが続いた。その中でも、中村憲吾や小林悠、黒津勝といった若きプレーヤーがクラブの中心選手として、さらにはリーグを代表するまでに成長し、また2013年からは大久保嘉人が3年連続で得点王に輝くなど、川崎フロンターレは急激に他クラブの脅威となっていく。

そして2017年、現在の指揮官、鬼木達監督が就任し、コーチ時代より磨き上げてきた精度の高いパスサッカーを武器に白星を重ね、創設21年目にして初優勝を遂げた。さらにこの年はJリーグカップでも準優勝するなど、チームの完成度がより、高まった1年でもあった。翌年の2018年も優勝でリーグ連覇を果たしたうえ、年間ベストイレブンに7人もの選手が選ばれている。また、連覇を遂げた裏には、家長昭博や斎藤学など、実績のある日本人プレーヤーを獲得したことも大きな要因でもあった。

昨シーズンはJリーグカップで念願の初優勝に輝き、3年連続で主要タイトルを手にしている。リーグ戦では4位に終わり3連覇は逃すも、リーグ屈指の攻撃力を武器として強さを発揮しており、この頃にはもはや「王者の風格」さえ感じさせるほどのクラブにまで成長している。

迎えた今季、10連勝以上を2度記録するなど、他を寄せ付けない程の戦いを続け、史上最速で3度目の優勝を果たしている。ルーキーの三苫薫が二桁得点を挙げ注目を集めるなどベテランから若手まですべての選手が、長年に渡ってクラブが目指し続けてきた攻撃サッカーを理解し、ピッチ上で体現している。

J1昇格直後よりフロンターレを支え、象徴的な存在でもあった中村憲剛の今シーズン限りでの引退が発表されたが、勝利にかける強靭な意思は多くの選手に引き継がれていることは明らか。この強さは、まだこの先、しばらく続きそうである。(佐藤文孝)

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森下暢仁は未来の投手王国を担う

「投手王国」。1980年代から90年代にかけ、広島カープの投手陣を多くの人々はそう呼んでいた。

長年に渡り、広島投手陣を支えた、エース北別府学をはじめ、大野豊、川口和久の両サウスポー、そして「炎のストッパー」故・津田恒美等を擁し、圧巻の投手力を前面に押し出し、セ・リーグを席巻した。

1990年に入団した、佐々岡慎司現監督も王国を彩った一人。新人当時から先発・リリーフでフル回転し、13勝17セーブを記録、翌年には最多勝を獲得し、エースとしてリーグ優勝に貢献した。北別府、大野、川口と共に、選手権では王者・西武をあと一歩まで追い詰めている。

その佐々岡監督の現役時の背番号18を引き継いだ、森下暢仁が2020年の新人王を獲得した。10勝3敗、防御率1.98という文句なしの成績を収め、不振だった大瀬良大地に代わり、広島投手陣の中心として存在感を示した。

昨年連覇を逃し、佐々岡新監督の元、巻き返しを図ったものの今季もBクラスに沈んだカープにおいて、数少ない明るい話題だったと言えるかもしれない。だが、森下の発揮し続けたパフォーマンスはもちろん、その精神力は、来季以降の広島投手陣を盤石にするための強靭さを感じさせるに充分なものだった。

何より、ローテーションを守り抜き、規定投球回到達したことは、自身の先発投手としての価値をさらに高めたと言って過言では無いだろう。

シーズン最終盤まで繰り広げられた、中日ドラゴンズの大野雄大との防御率争いでは最後までタイトル獲得の可能性が残った。だが、「防御率1点台を維持したい」という、本人の意志により、リードしていた大野に次ぐ2位のまま、シーズンを終えた。がむしゃらにタイトルを狙いに行くことをせず、数字への強いこだわりをみせている。10、11月の5度の登板では、4勝、失点も僅かに2と抜群の安定感を披露していた中でも、決して防御率タイトルも夢ではなかっただけに、ルーキーに似つかわしくなく、先を見据えた23歳の重みのある選択だった。

津田恒美をはじめ、何人もの歴代の新人王を輩出し、王国と呼ばれるほどの投手陣を作り上げてきたカープの将来を担う森下暢仁。今季の活躍で、新たな投手王国の中心となり得る存在であることは証明された。カープの覇権奪還のためには、投手陣の中で5年ぶりにエースナンバーを与えられた若き右腕がさらにマウンド上で躍動することが求められる。そして、森下には来季、カープを上位に引き上げることを実現するためのポテンシャルは間違いなく備えている。(佐藤文孝)

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SC相模原、J2昇格 10年前にみた、美しい空

サッカーJ3、SC相模原が来季からのJ2昇格を決めた。AC長野パルセイロ、FC岐阜とともに、最終節まで2位の座を激しく争った上で、念願の昇格を果たした。鮮やかな緑のユニフォームは、来季J2の舞台で躍動する。

指揮官の三浦文丈、富澤清太郎も所属、昨年現役を引退した成岡翔も在籍していたこともあり「元・アルビ」としての縁が何かと深い。特に三浦、富澤の「2017年組」により、悲願を達成したとあって新潟サポーターは感慨深く、来季は直接の敵になることにも脅威を抱いてしまう。

その存在を知ったのは10年前のシーズン開幕前。2010年、まさに「元・アルビ」船越優蔵の所属が、当時、神奈川県リーグ在籍のSC相模原に決まる。前年まで東京ヴェルディのユニフォームを着ていた船越が、カテゴリーでは数段下の設立から間もない新興チームに移籍したことで、強烈に名前を覚えることに。

その後、船越優蔵と相模原の応援のため、神奈川県に頻繁に足を運んだ。初めて観た試合は3月、確か公式戦だったはずだが、大きな川沿いのグラウンド。タッチの外に出たボールは選手自身が拾いに行っていた。船越優蔵以外にも、秋葉忠弘も相模原の一員だったことを、この時、知る(試合中、ピッチサイドで秋葉選手とすれ違いざまに、「秋葉さんおつかれ」と、声をかけると「ウっす」という返事を頂いた)。

ある試合後には、秋葉、船越両選手と会話する機会も得られた。

県リーグ公式戦や天皇杯予選など、春先から夏にかけ、頻繁に相模原のゲームを観戦に行った中で、相模原麻溝公園競技場(現・ギオンスタジアム)でのこの年、初のホームゲームでは運営スタッフボランティアとしても参加することになり、ゴール運びやグラウンド整備などを手伝わせてもらったことも素晴らしい経験だった。

当時はクラブ、選手、サポーターの「相模原ファミリー」がJリーグ入りという大きな未来へ向かい、力強く歩み始めた時期という印象が強く残っている。何度も訪れたスタジアムの上に広がる、青く大きな空の美しさと共に。

あの頃より、ピッチ上の顔触れが変わっていることはもちろん、様々な困難や試練も乗り超えて、成長を続けてきたSC相模原。来季、初のJ2での戦いは決して簡単にいかないことが多いだろうが、今もなおクラブ全体から発せられる、エネルギーは絶大だ。また、J3を長年に渡り戦い抜いたことで得られる地力も大きな武器、そして支えになるだろう。敵としては非常にしぶとく、厄介なクラブがまた一つ、増えたことになる。個人的には新潟との対戦の他、秋葉監督率いる水戸ホーリーホックとのゲームも今から楽しみでしょうがない。(佐藤文孝)

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一年の最後に今宮さんのコラムを

今年初め、新年を迎えて数日後、今宮純さんのニュースが伝えられた。

モータースポーツのファンであれば、その名を知らぬ者はいない程、多くの人に広く知れ渡った存在だった。かつてのモータースポーツファンだった自分も、十代の頃はテレビでの解説を聞くだけでなく、著書など、活字からも今宮さんから発信される情報に引き寄せられていた。

テレビ画面の中の今宮さんは、そのやわらかい語り口で、正確な解説を行い続けた。爆音とともに繰り広げられるフォーミュラレースの映像とは対照的に、冷静さを保ちつづけようとする立ち居振る舞いは、話題の正確さを際立たせている様だった。特に興味深かったのが、シーズン中はほぼ2週間に一度開催されるグランプリの中継において、毎回、違う実況アナウンサーと組む中で、今宮さんとのやり取りがスムーズに行われていたことだ。

個性的な実況者たちに対し、常に同じ姿勢で会話を成立させており、初登場の若手アナウンサーと組んだ時は、聞き手、語り手の枠を超え、会話をリードする一面などもみられ、コミュニケーションの基本を学んだような気がしたものだった。

1989年のポルトガルグランプリ、1994年のサンマリノグランプリをはじめ、予想を超えたアクシデントの際はその冷静さとは裏腹に、感情を昂らせるシーンも全国のファンに伝わった。様々な声もあったようだが、一人の人間がしゃべり続ける以上、多くの「顔」がみられるのは当たり前のことであり、自然の流れだった。デビューからのお気に入りだったジャンアレジが快走を見せた1990年アメリカグランプリでのテンションの高さは今でも、耳に、心に焼き付いている(それ故、アレジ初優勝時に、F1から離れていたことが心残りでもある)。

F1グランプリ中継の「顔」とも呼べた今宮さんだったが、1年だけ全日本F3000の解説を務めたのが1995年。初回放送を観たが、実況、解説の掛け合いはまるで、F1中継時のやり取りそのもの、声の存在感は絶大なものだった。反面、今宮さん不在となったF1中継、フジテレビ実況解説陣は大きく姿形を変えたことで、多くの声が寄せられていたことも覚えている。「主役」がおらずまるで、別ジャンルのイベントにさえ感じられてしまった。

モータースポーツ界も異例のシーズンとなった2020年がもうすぐ暮れてゆく。先日には角田裕毅の来季のF1参戦が正式に発表された。グランプリに7年ぶりの日本人ドライバーが走ることに大きな期待が高まる。

毎年、年末のスポーツ誌のコラムには最後に「来年も宜しく」という一文で、締められていた。昨年も同様であり、その文章を目にした数日後に今宮さんのニュースを聞いている。

もし今年も年内最後のコラムが発表されていたならば、今宮さんならどんな内容を綴ったか、しばらく想像してしまっている。(佐藤文孝)

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プロ野球、新天地への物語

シーズンオフのプロ野球は、様々な話題が溢れる。新天地に辿り着いたプレーヤーの物語も、例年と同じく、多く伝えられている。

元メジャーリーガーの参加により、いつも以上に注目が集まった今年のトライアウトで、新天地への切符を掴んだのは、宮台康平だ。日本ハムを戦力外となり、育成契約の打診があったものの、支配下での契約を求めて古巣を退団し、トライアウトに挑んでいる。

2017年ドラフト7位で東大から日本ハム入りを果たし、一年目に一軍のマウンドを踏むも、以降はファームでの生活が続いた。大卒選手にとって「勝負の3年目」となった今シーズンも、一軍での登板は無く、来季の構想外を告げられ、新天地を求めることに。

トライアウトでは打者3人に対し気迫のピッチングをみせ、いずれも三振を奪うという最高の結果を収めている。特に目立ったのは外角のコントロールだった。右打者二人、左打者一人と相対し、三つの三振を、全ても最後は外角に投げ込まれている。勝負球として投じたストレート、変化球は何れも絶妙のコースに決まり、完ぺきに打ち取った印象だ。

すでに、東京ヤクルトスワローズは獲得合意を発表しており、来季もプロ野球選手としてユニフォームを着ることが決まった。25歳の左腕は、見事に生き残りを懸けた勝負に勝ち、望むべく結果を手繰り寄せている。

43歳にして古巣への復帰が決まったのは、福留孝介だ。阪神タイガースを戦力外となり、来季から14年振りに中日ドラゴンズのユニフォームを着ることとなった。

高校、社会人を経て中日に入団、プロとしてキャリアをスタートさせると、メジャーでも長年に渡りプレー、日本復帰後は名門の縦じまを身に纏うという、紛れもなく華やかな道を歩んできた。日本代表としても印象に残る場面での活躍もあり、現代の野球界のスタープレーヤーの一人であることは間違いない。

それでも、阪神タイガースでは名門故の重圧もあり、年齢を重ねるにつれ、思うような結果を残せなかった。昨年は、自身NPBでは最少となる42試合の出場にとどまった。

ドラゴンズは打線に厚みを加えるべく福留を獲得したと言われるも、来シーズン、開幕から間もなく44歳を迎えるベテランはベンチに座る機会が多いだろう。現役生活もそう長くはないことも多くのファンは感じているはずだ。

だが、その意志の強さから、プロキャリアを敢えて「遅らせた」左バッターには今なお、試合を決める「一振り」があることも知っている。8年ぶりのAクラスに就き、来季ドラゴンズがさらなる上に昇り詰めるためには、多くの経験を積んだベテラン福留孝介こそが最も必要なプレーヤーなのかもしれない。(佐藤文孝)

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スポーツ「テレビ観戦」の日曜日。

スポーツ好きには「特盛り」の日曜日だった。

午後1時からのアメフト東西大学王座決定戦甲子園ボウル、その2時間後にはサッカーJ2アルビレックス新潟対ザスパクサツ群馬のゲーム、夕方には柔道男子66㎏級五輪代表決定戦、阿部一二三対丸山誠志郎のワンマッチが行われている。さらにその後もアイスホッケー、東北フリーブレイス対ひがし北海道クレインズの日本選手権決勝、深夜には久保建英のビジャレアル、そして未明からバルサといったリーガの試合をと、観戦欲に熱を入れ続けた。

とはいえ、自分の場合は全てがテレビ、録画、ネットを駆使しての観戦であり、始から終わりまでを観届けた競技も無い。スペインリーグに至っては、睡魔に抗うことが出来ず録画すら行うことが出来なかった。

唯一、アルビの試合のみ、NHKローカルにおいて開始直後からテレビの前に座りライブで観ることが出来た。

とはいえ、通常、平日休みが多いこともあり、改めて日曜日のスポーツのボリュームに圧倒された。1年の終わりということもあり、ビッグイベントが並んだこともさらに厚みを増すこととなり、テレビ観戦だけでも、すべてカバーしようとしても追いつかないというのが現実だ。そして、今後はテレビ・ネットを通じての観戦が今まで以上に当たり前になるのではないかという思いが浮かんだ。

国内プロスポーツにおいての観客が収容人数の50%、応援スタイルの緩和など、徐々にではあるが段階的にかつての形にまで近づいてきている。だが冬を迎え、日常生活において再び、移動制限を呼びかけられていることも踏まえると、バスケやラグビーといった冬の競技もある中で、今なお、現地観戦するにあたり予断を許さない状況であることに変わりはない。正月にはアメフトやプロレスという、ドームクラスのビッグイベントの開催も控えていて、テレビ・ネット中継を選択するファンも少なくないはずだ。

欧州では現在も無観客が続いていることも、決して対岸の火事ではない。来春以降も、日本でも満員のスタジアムは当面は観られることは難しく、スポーツの自宅での観戦が「新生活様式」として定着していくことも充分考えられるのではないだろうか。

先が見通せない以上、電波によるスポーツ観戦の環境を、さらに整えていく必要がある中で、某TV局は歴史的一戦を、結末まで放送することなく中継を終えたという。競技自体が延長したとはいえ、重責を担う立場ならば、絶対に起きてはいけない事態だったことは間違いない。(佐藤文孝)

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天を仰いだ、福藤豊。現役最高GK、連覇を逃す。

一年に一度、NHK・BSの電波で試合中継を見ることが出来るアイスホッケーが全日本選手権だ。12月12日、準決勝の2試合をテレビ画面の前で堪能する。今年の開催地は青森県八戸市のリンク、8年振りだそうだ。

15時より放送されたのはH.C日光アイスバックス対ひがし北海道クレインズのゲーム。2連覇を狙うアイスバックスのゴールを守るのはベテラン福藤豊だ。日本人で唯一、北米プロアイスホッケーリーグ・NHLでのプレー経験を持ち、今なお、日本アイスホッケー界のシンボル的存在。その福藤をテレビで観られることに、贅沢さを感じる土曜日午後だ。

2000年代初め、「Number」誌においてその存在を知る。当時、オリンピック特別強化指定選手としても紹介されていたことで、プレイヤーとしての能力がどれほどのものか、想像を膨らませた。確か、アイスホッケーを題材にしたTVドラマが放送されていたのもこの頃であり、少しばかりこの競技にもスポットライトが当てられていたころだった。

実際にプレーを観たこともある。2012年秋、日光で行われたソチオリンピック予選。日本代表のゴールマウスに立った福藤は初戦のポーランドを完封、日本は2-0で勝利した。守備を支える存在感の重みは、別格だった。アイスホッケーにはゴーリーの「ビッグセーブ」が、試合の流れを引き寄せる大きな要素を持つと言われる。この時の予選では、福藤が多くのビッグセーブを披露し、代表チームを牽引した。

それでも日本代表は次戦の韓国には辛勝したものの最後のイギリス戦に敗れ、地元開催の2次予選で、敗退という、屈辱的な結末を迎えている。

2017年の平昌五輪予選、昨年の北京五輪予選も、日本代表の守護神は福藤だった。五輪本選には届かなくとも、元NHLゴーリーは日の丸を背負い続けた。世界では強国とは呼べず、日本国内でもマイナー競技の域から外れることのない日本のアイスホッケーの象徴である福藤豊に、ファンは喝采を送る。

市民クラブチーム同士となった2020日本選手権準決勝は、拮抗した試合展開が続いた。この試合でも、再三に渡り鮮やかなセーブを繰り広げるも、1対1で迎えたオーバータイム、ラトビア代表・ゾルマニスが福藤からゴールを奪い、クレインズが勝利。

この試合の解説を務めた現日本代表監督、岩本裕司は「今季最高のゲームだった」と感想を語っている。だが、アイスバックスは連覇の夢が消え、日本人現役最高のゴーリーはまた一つ、敗北を味わった。(佐藤文孝)