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「罰則走」の是非。指導法の在り方とは?

2020年シーズン、ジャイアンツの阿部慎之助2軍監督の指導が大きな話題となった。

一昨年、19年に及ぶ現役を引退し、2020年より二軍監督に就任、多くの若手の育成を担う役割を託されている。

その指導方法の中で注目を集めたのが、選手への「罰則走」だ。

昨シーズン開幕前の3月、大学生との練習試合に敗れたゲーム後、選手全員に対しグラウンドを走らせたというエピソードがクローズアップされた。その後も不甲斐ないプレーをした選手に対してのランニングを課しており、自身も「(選手が)2軍に来たくなくなるくらい、来年もバンバン走らせる」と、語っている。もはや、フィジカル面の強化よりも、発奮を促す意味合いが大きいのは明らかだ。

阿部は2000年のドラフト会議で、中央大学からドラフト1位で巨人に入団。翌年よりシーズンの大半でマスクを被り、その後は常に巨人の「扇の要」を務めてきた。バッティングでも巨人の主軸を打ち、首位打者、打点王のタイトルも獲得している。また、大学時代より日本代表にも選出され、五輪にはアマチュア時代も含め2度、ワールドベースボールクラシック(WBC)にも2度出場するなど、常にエリートとしての選手生活を送ってきた。

優れた実績を残し続けたプレーヤーほど指導者に転身すると、自身の考えをそのまま選手に押しつける形となり、独りよがりの指導を行うという説がスポーツ界に広く言い伝えられている。時代錯誤とも言われる罰則走などは、まさにエリートゆえの「暴走指導」なのか。アメリカ大リーグで活躍するダルビッシュ有をはじめ、SNS上でも阿部のやり方に対し、批判的なコメントが並んだ。

さらに現役時、東京ドームでの公式戦の最中、サインを読み違えた澤村投手に対しすぐさまマウンドに駆け寄り、大観衆のど真ん中で澤村投手の頭を叩いたシーンはあまりにも有名だ。その「鉄拳制裁」の強烈な印象が現在の指導方法と重ねられることで、指導者生活1年目からはやくも、阿部本人に対しネガティブなイメージが強まっている感も否めない。

だが、同じ様に選手に手を上げたシーンがテレビ中継に映しだされた指導者もう一人いたことを思い出す。かつて、阿部よりもはるか以前に「鉄拳」で知られた元巨人2軍監督・須藤豊氏だ。ある年のシーズン中、巨人の1軍ヘッドコーチを務めていた際、バントを失敗した後、ホームランを打った主力打者に対し、ベンチで「制裁」と祝福を送った場面があった。まさに人目も憚らない熱血指導を目撃した瞬間だった(その選手とは現ヘッドの元木大介)。

須藤氏は1980年代、巨人の二軍監督を長く務め、多くの若手を一軍に送り後の巨人の主力選手を育て上げた。さらにはイースタンリーグ4連覇、ジュニア日本選手権も3連覇を達成するなど、「チームの勝利と育成」を見事に実現させている。1990年からはその手腕を買われ、当時Bクラスの常連だった大洋ホエールズ(現横浜DeNAベイスターズ)の監督に就任、1年目から3位に導いている。

当時の巨人と言えば栄光のV9時代から時が経ち、かつての勢いを取り戻せずにいたこともあり「優等生野球」と揶揄され続けていた。その巨人にあって異彩を放ちながら、持ち前の熱量を前面に押し出し、2軍の若手を徹底的に鍛えあげた。1989年の劇的な日本一、さらには90年代の3度のリーグ制覇などは須藤の元、育てられた選手たちにより成し遂げられている。また、Bクラスが続き「大洋銀行」とも言われるほど低迷が続いていた大洋ホエールズが、その「鬼軍曹」を求めたのも自然な流れだったとも言えるだろう。

2020年の原ジャイアンツはリーグ連覇を果たしながら、日本シリーズでは史上初の2年連続となる4連敗。試合内容もほぼ完敗と言って良い展開が繰り広げられた。屈辱に塗れながらも、最後まで選手、監督、コーチ、誰からも覇気も感じられず、闘争心も伝わることはなかった。ともすれば、巨人という球団の歴史の中で、現在最も危機的な状況が訪れているのかもしれない。

このような時だからこそ、「巨人らしさ」から逸脱した、それまでの常識を打ち破るような人間が一人くらいいてもいのかもしれない。どれだけ時代が移ろうとも紳士でありつづけるジャイアンツ球団の中で、生え抜きである阿部慎之助が「令和の鬼軍曹」と呼ばれる存在になるのであれば、そこからチームはあらゆる意味で生まれ変われるのではないだろうか。(佐藤文孝)

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