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レジェンドの足跡、木村和司と日本サッカー

某スポーツ紙で連載が行われている、木村和司のエッセイが面白い。

これまでの半生を本人の言葉で回想する内容だ。サッカー好きとして、中身の濃さもさることながら、文章の中で自身を「わし」と呼んでいることも、引き込まれる要因の一つだろうか。

日産横浜マリノスの背番号10。Jリーグ発足時には既にベテランとして知られ、それでも屈指の強豪クラブの主力という認識が強かった。他に、井原正巳、松永成立、水沼貴史、勝矢寿延等も名を連ねていて、ユニフォームのデザインも魅力的だったこともあり、テレビ中継(地上波!)ではマリノスのゲームを観ることが多かった気がする。

1985年国立での「伝説」のフリーキックは、リアルタイムでは触れてはいない。後のJリーグ発足、アメリカW杯最終予選で盛り上がっていく中で、「過去のもの」としてVTR等で知る。チア・ホーンが鳴らされる中、右足でゴールに蹴り込んでいた映像は、ことあるごとに、繰り返し流されていた。そして、その試合の後半には、木村が蹴ったコーナーキックからの加藤久のバックヘッドが、僅かにゴールをとらえきれず、同点のチャンスを逃していたことも知る。Jリーグ世代には、木村の全盛期のプレーは、過去のエピソードとして伝え聞いていたのだった。

エッセイの中でも現在は、日本リーグ時代、さらにはJリーグの開幕時の木村和司の当時の動向が振り返られている。日本リーグ晩年、国内日本人プレーヤーでは、最初の本格的なプロ契約選手だったことは知っていたが、Jリーグ発足を前の様々なクラブからのオファーや、マリノス残留を決意するまでのいきさつは興味深い内容だ。青・白・赤のユニフォーム以外を切る可能性もあったことや、「神様」ジーコについても語っている。Jリーグでは実働2年程度で現役を終えたと記憶しているが、背番号10を背負い続け、あの華々しい雰囲気の中行われた読売ベルディとの開幕戦や、その後のリーグ戦においても、重みのあるプレーを披露し続け、スターとしての輝きを放っていた。

後年、元日本代表のラモス瑠偉は木村和司が選手として、「ドーハ」のピッチに必要だったとコメントしていた。素人目に観ても現実的とは言い難い、盟友の言葉ではあったが、何故か空想で木村が「あの場所」にいる姿を想像してしまう。非現実的なことさえも思い浮かべてしまうほど、木村和司というプレーヤーの存在は別格だった。

時代は移り、技術的には比較にならない程に進化した現代の日本サッカー界ではあるが、木村と同じ様に大きな夢を描かせる、そんな選手は果たしてどれだけいるだろうか。(佐藤文孝)

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